毎年、この話。(ちょっと怖い話)

こんばんは、春緒です。
いつの間にか日付が変わっていました。8月15日、終戦記念日ですね。
日本があの辛い戦争を終えてから、75年。
75年間、戦争がなかった。良かった。
そこに立っていたら爆弾が降ってくるような時代を経験していない私たちは、本当に幸せ者です。
守ってくださった皆様、本当にありがとうございます。

連日、暑さが続いています。
危険な猛暑ですね。空調機器を上手に使用しながら、命大事に、夏を乗り越えましょう。
ご自愛くださいませ。

さて、毎年この頃にしているお話。
本当は8月14日のうちにお話したかったですが、ちょっとドラマに夢中になっていて、遅くなりました。

例年、同じ話をしています。考えようによっては、少し怖い話。
高校の頃の修学旅行でした。
某年10月31日に、私たちは広島の平和祈念公園に行きました。
石碑や噴水があって、そういったところを見学して、グループに分かれて資料館などを見学に、という予定でした。
私たちのグループは、公園内にある平和の鐘をみんなで鳴らしました。

そのあとですね。
平和祈念公園の中で撮影した写真は、すべて「1945年8月14日」になっていました。昔ですから、写真を現像して見たのは、修学旅行から帰ったあとです。
一緒にいたグループの友達と写真を見ながら、日付の異常に気づき、まあ、怖いとも思いました。
ですが、それ以上に「この人、14日になくなったのかな。1週間、辛かったね」と友人たちとは、悲しい気持ちになったものです。

ご存知の通り、広島に原爆が落とされたのは8月6日のこと。
私たちの写真には8月14日。おそらく、写真に作用した方の命日が8月14日だったのかな、と推察しております。
苦しかったでしょう。何が起きたか、それすらもわからない中で、焼け野原になった故郷を茫然と見たことでしょう。どれほどの傷を負ったのでしょう。
語りかけられる言葉は私たちにはわかりません。
ただ、苦しさを感じます。

名も知らぬ、顔も知らない、1945年8月14日に亡くなった誰かさま。
75年、戦争はありません。
そして今は私よりもっと若い方々も、広島や長崎の被爆地でどんな苦しみがあったのか、後世に伝えようとしています。
2度と、核兵器の光に焼かれる人がないよう、現在生きている人たちは願い続けています。
世情は残念ながら不穏です。
それでも、なんとか、まだ今は人に向かって核爆弾は落ちていません。

これからもそういった過ちがないように、お見守りください。
ご冥福をお祈りいたします。
また来年には、ご挨拶します。