「気になる」と「気にする」

こんばんは、春緒です。
湿気がしんどい今日この頃です。いつの間にか一年の半分が終わりそうですね。
今日も記事投稿の練習というか、なんというか。
なんとなく綴った文章なので、お付き合いいただけそうな方だけどうぞ。

見出しだっつってんだよ

WordPressにしてから投稿が億劫になったという感じ。
今ひとつ慣れない。htmlとかをビルダーでぶっ込んでいたほうが楽だった。
しかし不便な点はある。自宅のPC以外では投稿できないからだ。
その点、WordPressならiPhoneでもiPadでも、どこからでも投稿できる。
が、長年の習慣て恐ろしいもので、より面倒な手順の方が楽に思えることもある。私もそんなもんだ。
こちらの見出しがちょっとキレ気味なのは、見出しを投稿しようとしてできなかったから。
え? アホなんじゃない? と思った方もいるだろう。いいんだ、アホだから。

気になると気にする

今はiPadで投稿している。
しかし今日のお昼時、カップラーメンのお湯が愛用のキーボードにかかった。
幸いキーボードは無事に稼働している。画面で入力するよりは、使い慣れたキーボードの方が楽。
で、表題の件。
「●●が気になって落ち込むんだ」
などと口に出したことがある。他人の視線であったり、上司の態度であったり。
刺々しい気分を発している人とのやりとりが苦痛であったり。
「そんなの気にしなきゃいいんだよ」
大抵の人の返事はこれ。
気になる、と、気にする、には大きな差があると思う。

受動と能動


前者は受動的な感覚で、後者は能動的ではないか。
餃子を食べた人と話して「あ、くっさ!」と感じる。
嗅ぎに行ってないのに餃子の匂いが漂ってくる。それが、気になる。
あの人は餃子を食べたのかと嗅ぎに行くのが、気にする。
違う感じする? 説明になっていないと思う。私も説明しづらい。
気になる、というのは本当に難しい。
気になるから辛いのであって、気にしなくなれたら、どれだけいいだろうかと思う。楽になるだろうか。気にしない人が真剣に羨ましい。
気にしない人は、本当に気にならないのだろうから、気になる人の気持ちはわかるまい。

俺の話を聞け

気になって辛いのだ、ということを話したときに「そんなの気にしなきゃいいんだよ」と言った人に反論したことがある。
「気になる、と、気にする、は違う。気にするな、って返事は、『そんな話より早く俺の話を聞け』っていう言葉でしょ」
とな。相手は黙った。めんどくせー、と顔に出ていた。
やっちまったと思ったが後のお祭り騒ぎだよ。知らんがな。
反射的に出た言葉だったが、案外、間違ってなかったと今でも思っている。
簡単に言うが、気になることを気にしないようにするのは、難しいのだ。

ともあれ。
気になるよ、という話をして、気にするな、と返事をする人は、話を断ち切りたい人。そこはあってると思う。
真剣に相談をしたいならそこで「いやちゃんと私の話を聞いてよ」と言えばいい。
そうでない会話なら、ああこの人は私の話を断ち切って別の話をしたいんだな、と思って話を聞けばよろしい。

トマト嫌い

トマトを好きな人に、トマトが嫌いな人の味覚はわかるまい。
「なんでー? 美味しいのに〜」
よくある会話だが、これが気になる人と気にしない人の違いだと思う。
美味しいと思ったら好きになる。美味しいと思えないから嫌いなのに、そこら辺がわかってもらえない。
まあその辺の話になると、すれ違うのも噛み合わないのも当たり前。
特に理解してほしいと思ってない相手と話が噛み合わないことは、あまり気にしない。気にならないから。
「へー、そうなんだぁ」
「美味しいって幸せだよね」
とでも言って濁しておいてもなんら問題なし。

話し合い

もし、気になることを気にするな、という相手が大事な人なら少しこじれる。
仕方がないので、お互いの意見を聞き合って、よく話し合おう。
話し合うことが大事。
なお、話し合いは、自分の意見を通すことが大事ではない。
相手の話もよく聞いて、折り合いをつけることだと思っている。
ま、そこが難しいんだよなあ。はは……。

プレビューしたら目次も作成できていたようなので満足。
それではまた。

概ね独断と偏見で書いているので、お腹立ちのなきよう。