最近調べていること

こんばんは、春緒です。

今回はちょっと自分用メモ。

 

いつも何かしら調べているんですが常にまとまらないです。

 

最近調べていること。

浮世絵師揚州周延について。

何故気になるか。

高田藩士で神木隊に属し、彰義隊と共に上野戦争で戦い、箱館戦争まで行っている。

宮古湾海戦で回天に乗船、負傷している。

 

 

基本情報

ja.wikipedia.org

刀剣ワールドさんの記事

www.touken-world-ukiyoe.jp

太田記念美術館さんの記事

otakinen-museum.note.jp

浮世絵芸術さんの記事

www.jstage.jst.go.jp

戊辰の役函館戦記

古典籍総合データベース(早稲田大学図書館)

www.wul.waseda.ac.jp

 

その他

国会図書館で検索

iss.ndl.go.jp

 

「楊洲周延=橋本直義 : 高田藩士が歩んだ浮世絵師の道」
上越市立総合博物館
注記    会期・会場:2012年9月15日(土)−10月14日(日) 上越市立総合博物館

↑ こんな展示があったらしい。

図録などあれば欲しいところ

 

amzn.to

国周について、の中に周延(橋本作蔵?ママ)の記述あり。

河鍋暁斎が師匠に無礼をしたので抜刀して怒ってたw

www.city.joetsu.niigata.jp

我が家にあるので文久年間の「橋本作太郎」または父親をじっくり探すことにする。

 

ヨイ豊 (講談社文庫) | 梶 よう子 |本 | 通販 | Amazon

主役ではないが、やっぱり豊原国周がらみで河鍋暁斎に抜刀して怒っていた。

 

揚州周延が浮世絵師として活躍したのは明治以降。

世の中には写真や西洋絵画がどんどん成長していた時代に、江戸の頃の手法で浮世絵を描き続けた。

江戸というものがとことん好きで、江戸の風情を守りたかった人なのでは?

などと思う……。

だから、薩長に抵抗する彰義隊に加勢したり、函館まで行っても戦っていたのかな、などと考察。

西洋化とか、薩長化する、江戸というか東京に抗っていたような。

写真は残っていないもよう。

痘痕があったらしい。

「写真? てやんでぃ!」

高田藩士だったが、父が江戸詰の記録ありとのこと。江戸生まれか高田生まれかは定かでない。

 

同時期の月岡芳年小林清親河鍋暁斎の記録などにも、何か出ていないかな?探してみよう。特に暁斎とは同門だったらしいので何かありそう。

芳年上野戦争後の寛永寺付近で取材をして流血の絵を描いていた。

暁斎の弟子にジョサイア・コンドルが居たような気がする。

 

師弟関係など

三代歌川豊国-豊原国周-揚州周延         

歌川国芳河鍋暁斎(国周門下かもしれない? 菱田八十八=国周ならば)

    -月岡芳年

 

小林清親(チャールズ・ワーグマンに師事した伝説について現在は否定的)

(榊原健吉の撃剣興行団に出ていたなどなかなか面白い人)

記録が多いのは河鍋暁斎か?

 

戊辰戦後、高田藩預けとなる。

同時期に新選組斎藤一が一戸伝八の変名で高田藩預けになっていたような……?

要調査。

 

あれこれ調べるのはとても楽しい(^^)